富士に立つ怪獣


データ

脚本は石堂淑朗。
監督は佐伯孚治。

ストーリー

富士山の裾野で交通事故が多発していた。
運転手は左側を走っていたのに何故か右車線の車と衝突したという。
警察から報告を受けたMATでも一応調査することにする。
秘密裏に現場に派遣された郷は、センターラインをオーバーしながら走ってくる車と衝突する。
ジャンプして難を逃れた郷は富士の山頂に掛かる傘雲を目撃する。
負傷した相手の見舞いに行く郷。
話を聞くと相手には郷がセンターラインをオーバーしたように見えたという。
不思議な力が働いていると直感する郷。
気象台に聞いたところ事故の直前には富士に傘雲が掛かるという。
郷は傘雲が光線を曲げるのではないかと考え、富士を観察する。
すると傘雲が掛かり、車が正面衝突の事故を起こした。
山頂へ向かう郷。
傘雲に向かってレーザーを照射すると巨大な怪獣が現れた。
本部へ連絡する郷。
この怪獣は光を曲げる力を持つと郷。
怪獣出現に避難する村人たち。
アローでやってくる隊員たち。
歓迎する村人。
郷は隊長に計器飛行に切り替えるように連絡するが、隊長は「ハッキリ見えている」と有視界飛行を続ける。
しかし光は曲げられておりアロー同士で正面衝突してしまう。
怪獣にレーザーを浴びせる岸田。
しかし怪獣にレーザーは弾かれてしまった。
着陸して対策を考えるMAT。
怪獣は日の入りとともに消えてしまう。
その時、何者かが話しかけてきた。
宇宙人はストラ星人と名乗り、地球人を混乱させ地球を自分たちの別荘にするという。
そのためにパラゴン怪獣を送り込んだという。
自分たちは光を曲げる力があり、戦っても無駄だと星人。
星人は降伏を促す。
目が駄目でも電波なら大丈夫だと岸田。
しかし郷は光を曲げられるなら電波も曲げられるのではないかという。
「我々の科学が信じられないのか」と岸田。
「科学的な心配をしているんです」と郷。
口論になる二人を叱責する隊長。
翌朝誘導ミサイルを積んだ伊吹と岸田は計器飛行で怪獣を探索する。
レーダーで捕えた怪獣へ向かってミサイルを撃つMAT。
しかし隊員たちの方へ着弾してしまう。
中止を指示する南。
光波も電波も赤外線も全ての電磁波を操れると星人。
隊長も岸田に中止するよう命令するが、岸田はあくまでレーダーを信じミサイルを発射する。
隊員や村人を容赦なく襲う岸田のミサイル。
「これでMATも崩壊だ」と南。
郷はミサイルの方へ飛び出し、ウルトラマンに変身する。
富士の山頂で怪獣と対峙するウルトラマン。
しかし怪獣は蜃気楼でウルトラマンの数10倍の大きさを誇っていた。
「パラゴンが本当はどこにいるか、ウルトラマンでもわかるものか」と星人。
しかしウルトラマンはウルトラブレスレットを投げ上げ太陽光線に振動を与える。
光を曲げられなくなったことにより正体を現すパラゴン。
パラゴンの変幻自在の攻撃に苦戦するウルトラマン。
しかし角を叩き落すとパラゴンの勢いは弱まった。
最後はスペシウム光線で止めを刺すとパラゴンは富士の火口へと落ちていった。
一緒に炎上する星人。
「やはりウルトラマンの力は素晴らしい」と伊吹。

解説(建前)

パラゴンはなぜ富士の山頂にその姿を投射されていたのか。
まず考えられるのが、パラゴンが光を曲げる増幅装置になっていたという可能性。
すなわちストラ星人が送った念力が、パラゴンを経由して富士山麓に影響を及ぼしていたのではないかということ。
そしてその際一緒にパラゴンの姿が富士山頂に投影されてしまった。

星人の光を曲げる能力がどういう原理になってるかは不明だが、パラゴンと一体としてその力を発揮していたのだとすると、最後一緒に炎上したのも頷けるだろう。
ただし光を自由に操れるなら、パラゴンの姿を見せないという選択肢もありうるはずである。
とするとやはりMATを誘き出すためパラゴンの姿を見せたのではないか。
結局人間を混乱に陥れるためには怪獣を使うのが一番と考えたのであろう。

感想(本音)

設定の粗さはあるものの、子供向けヒーロー番組として見れば破綻というレベルではない。
全体的には堅実なエピソードではないか。
私の子供の頃の印象もそんな感じで、可もなく不可もなしである。
第4クールは全体的にそういう感じの話が多い。
確かにインパクトはないが、それで作品の質を下げているということもない。

そんな感じで普通に楽しく作品を見させて頂いたが、改めて見るとメッセージに関しては妙に大人向きなのがわかる。
MATを悪く描く事に関しては賛否両論あるだろうが、MATを我々人類の代表と考えるとこの作品がMATをこき下ろすとかコケにするとか、そういうテイストではないことが十分伝わる。
まあ、やや錆付いたテーマではあるが、科学万能思想への批判というテーマは大人になった今こそ理解できるであろう。
とは言え子どもにもテイストは伝わるので、子供向けにこういう話を作る意義は十分ある。

と、やや堅い書き出しになってしまったが、この話で特筆されるのは新マン初のギャグ回であるということだろう。
「落日の決闘」などコミカルタッチの話もあったが、明確にギャグ回と言えるのは本話が初めてではないか。
MAT登場シーンの村人の歓迎振りを前振りに、狂乱する岸田の爆撃に村人たちが逃げ惑うシーン。
さらに「MATも崩壊だ」と呟く南。
この一連のシーンに本エピソードのテーマが凝縮してるといって過言ではないだろう。
チャップリンに代表されるように、風刺というのはコメディと最も相性が良い。
MATが守るべき村人を攻撃する。
シュールな演出は科学に対する信仰の愚かさを上手く強調づけてる。
そしてその役割を担った岸田がこれ以上ない適任者であったことは言うまでもないだろう。

ではその他気になったシーンを。
まずは郷が車で正面衝突を起こしたシーン。
正面衝突で相手のドライバーがよく死ななかったなというのはさておき、空高くジャンプして脱出する郷はこれぞヒーローというもの。
傘雲をカッと印象付ける演出もいいし、ウルトラ初参戦の佐伯監督のセンスが冴え渡っている。
ただかっこいいだけではなく富士を逆さにして挿入するカットはある意味浮世絵的 な美しさもあり、特撮だけに浸っている監督には思いつかないカットであろう。
いい絵を見せてもらったなという得した気分をさせてくれるシーンである。

郷と事故を起こした運転手は自分の非をわびていた。
他のドライバーは決して自分の非を認めなかったのに、やはり相手がMATだと逆らえないのだろうか。
しかし現実にはどちらか一方が相手の車線に入ってきてるわけで、そんな言い訳は通用しないぞ。
結局怪獣の仕業ということが証明されたが、損害賠償がどうなったのかは気になるところである。

今回ストラ星人は地球を自分たちの別荘にするためにやってきたという。
まあ、こういう発想自体凄まじすぎるが、星人たちにとって人間とは虫けらくらいの存在でしかないのだろうか。
ウルトラマンがいることくらい知ってるだろうにとは思うが、その残虐さはなかなかである。
ただし人間に限っても一部の人間にはもはや鬼畜としか思えない連中もおり、今回のストラ星人がそういう輩だとすると合点がいく。
とは言えやはりウルトラマンと戦ってまでそのような目的を遂げようとするのは理解できず、お約束通り炎上して果てたのは愚かとしかいいようがないであろう。

今回は特撮シーンも頑張っている。
特に隊員たちとアローの合成は本物かと思えるくらいリアルであった。
もちろん当時の技術では出来ることは限られているが、今見てもリアルと思えるシーンが多々あり、まだまだ現在の視点から視聴に耐えるのは脅威であろう。
しかもこれが毎週子供向けテレビドラマで行われており、当時の子どもが夢中になるのは至極当然のことである。
アニメや他の特撮に追撃され映像面でのアドバンテージがほとんどない円谷。
ウルトラシリーズの人気低下の一因であることは疑いようがあるまい。

本話を含む最終クールはイマイチ評判が良くない。
確かに3クールまでのテーマ性、ドラマ性に比べるとやや物足りないのは事実であろう。
しかし最終クールはそのようなものを目指してないのは明らかである。
それを作品の質と結びつけるのは早計の謗りを免れまい。

最終クールに漂うのは、それまでの行き過ぎた作風の反動としての大らかさ、自由さ。
それを象徴するのがMATであろう。
最終クールのMATは初期のギスギスしたムードからは一変し、友好的なチームとして描かれている。
本話では久々に郷と岸田の対立が見られたが、それとて初期のような厳しいムードではなく意見の相違といった程度のものであった。

確かにウルトラマンとともに戦うという防衛隊の役割からみると物足りなさは残ろう。
しかしウルトラシリーズのフォーマットでは両者の共闘は両刃の剣ともなる。
すなわちウルトラマンの矮小化に繋がりかねないのだ。
今回ラストで伊吹隊長は、「やはりウルトラマンの力は素晴らしい」と素直に賛辞を送っている。
そこには手柄を取られて悔しいという思いは微塵もない。
子どもたちの憧れはあくまで郷でありウルトラマンである。
ウルトラマン郷秀樹及び視聴者である子どもにとって、信頼できる温かい仲間。
最終クールにおいてMATに託されたのは、そういう癒しの役割であるというのは言いすぎであろうか。


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