ふるさと地球を去る


データ

脚本は市川森一。
監督は冨田義治。

ストーリー

ある工事現場で建設中のビルが突如解体し、鉄骨だけを残して空に舞い上がった。
MATのレーダーが追跡したところ、コンクリートはザゴラス星の引力に引かれて宇宙に飛び出したことが判明する。
現場の担当者の話によると、砂利は群馬県の愛野村から持ってきたという。
愛野村でも同時刻に地殻変動が起きていた。
郷と南はジャイロで愛野村に飛ぶ。
愛野村は小さい村で南の育った村に似ているという。
南は少年時代、じゃみっ子と呼ばれ周りから蔑まれていた。
じゃみっ子とは糸を吐くことが出来ない蚕のことを言う。
親に糸を吐くことを教えてもらえず育った子はじゃみっ子と蔑まれるのだ。
愛野村の小学校にもじゃみっ子と呼ばれる少年がいた。
少年は名を六助といい、その日もいじめっ子たちのいじめにあっていた。
六助はいじめっ子にいじめられても反抗できない。
教師にもじゃみっ子と呼ばれ、完全に見放されていた。
せめてもの抵抗か、校長の像の前に立ち自分を大きく見せる六助。
じゃみっ子と呼ばれた南が変わったのは村に熊が出たのがきっかけだった。
少年時代の南は無謀にも猟銃を持ち熊を撃とうとした。
それはいじめられ抜き、もはや逃げ道を失ったものでしか取れない行動であった。
結局熊を撃つことは出来なかったがその事件を境目に南はじゃみっ子と呼ばれなくなる。
自信をつけ、いじめっ子にも一目置かれるようになったからだ。
せりあがった土地を見て驚く2人。
露出した緑色の岩石を手に取り観察する。
その時地震が発生し、怪獣が現れた。
ジャイロで攻撃するMAT。
炎を吐いて暴れる怪獣。
怪獣は地底に姿を消す。
MAT地質化学班の分析によると、愛野村は有史以前にザゴラス星から飛んできた隕石の上にあるという。
隕石に含まれてる放射性元素、メルライトがザゴラス星の引力に引かれているのだ。
また怪獣は隕石の放射能により突然変異した微生物と推測された。
村人を避難させるMAT。
しかしその隙にMATガンが盗まれた。
一方学校ではいじめっ子たちがオルガンを運び、教師から誉められていた。
そこに現れる六助。
「お前たち逃げるのか」。
六助はMATから盗み出したMATガンを手に持ち、自分について来いと言う。
それを取り上げようとする教師。
しかしはずみでMATガンが誤射してしまった。
その音に駆けつけた郷、南。
しかし六助は一人で怪獣と戦うと言い既にその場を離れていた。
少年がじゃみっ子と呼ばれているのを聞き動揺する南。
六助に追いついた二人はMATガンを返すよう言う。
「お母さんが心配するぞ」と説得する郷。
しかし六助の母は出稼ぎに出ており村にはいない。
また父は既に死んでおり六助は一人ぼっちであった。
「君は一人きりなのか。それでじゃみっ子か。弱虫だね君も。友達からいじめられても怖くて喧嘩なんかしたことがない。先生からは一度も誉められたことがなく、叱られてばかり」と南。
南は「多分生まれて初めて何かと戦おうとしているんだ。戦わせてやって欲しい」と郷に言う。
そこへ怪獣が現れた。
六助にMATガンを撃たせる南。
南と郷は二手に分かれて怪獣を攻撃する。
「怖くないか」と南。
「怖くなんかありません」と六助。
しかし3人は崩れる岩の下敷きになってしまう。
村の外に出ようとする怪獣を食い止めるMAT。
郷はウルトラマンに変身した。
ザゴラスに苦戦するウルトラマン。
戦いのさなかザゴラス星の引力に抗し切れなくなった村が空に浮かび上がった。
宙に浮く村の上で戦うウルトラマン。
木にしがみついていた南と六助は猛烈な風に吹き飛ばされてしまう。
ウルトラブレスレットを変形させ2人を助けるウルトラマン。
最後は怪獣を空に持ち上げ浮かび上がった村に激突させた。
無事を喜ぶ郷たち
「ふるさとを失って寂しくないかい」と郷。
「寂しくなんてありません」、六助。
「ふるさとはなくしてもふるさとで戦った思い出だけは一生忘れないよ」と南。
しかし六助は 「また起こらないかな。今度はもっと撃ちまくってやる」と辺りに銃を乱射し始めた。
「もうよせ」、銃を取り上げる南。
「もういいだろう」。
空を飛ぶアロー、ジャイロに手を振る3人であった。

解説(建前)

六助はどういう生活を送っているのか。
母親は出稼ぎに行っており、おそらく一人暮らしなのだろうと思われる。
母親が残したお金や近所の人たちから貰う食料などでやりくりしているのではないか。
先生からの受けが悪いのも、給食費を滞納しているなど経済的事情が絡んでるのかもしれない。

それでは何故六助はいじめられるのか。
これはやはりやられても反抗できないうちにエスカレートしたのだろう。
父を早くに失った六助は強い男を身近に感じたことがない。
また母も周りに頭を下げて生きており、そういう姿も六助の心に刻まれたのだろう。
色々な事情で卑屈に育った少年。
それが六助である。

感想(本音)

かなりの問題作。
ただし個人的にはそれほど好きな話ではない。
それはやや物語と怪獣が分離してしまってるからだ。
それは追々語ることにする。

このエピソードの肝は六助がMATガンを持って怪獣と戦いに行くくだりであろう。
武器を持つ少年。
それはそのまま、おもちゃの武器を持つ当時の子供たちを象徴している。
そして最後の乱射シーン。
暴力の何たるかを知らない子供たちにヒーロー物を見せる危険を暗喩している。
子供は悪魔でもあり天使でもある。
武器を取ることにより自信をつける少年。
暴力という手段による解放の是非は問われないといけないだろう。

今回は南隊員の幼少時代が語られている。
かつて南隊員自身じゃみっ子と呼ばれ、周囲の蔑みの中で生きてきた。
南が熊に挑みかかったのは追い詰められ逃げ場を無くしていたから。
泣かされた子供が切れて暴れ出すと手がつけられないというのと態様こそ違えど根は同じなのだろう。
そういう経験なら覚えのある人は多いのではなかろうか。
逆にそれを出来ない人は引きこもりになるしか逃げ場がない。
案外引きこもりこそ、現代の六助の姿なのかもしれない。

今回話のプロットはザゴラス星の引力により村が隕石ごとぶっ飛んでいくというなかなか奇抜なものである。
六助の物語に埋没した感があり残念だが、その点を捉えた「ふるさと地球を去る」というタイトルはとても秀逸だと思う。
最後のアロー、ジャイロのシーンは取ってつけた感が強い。
出番の少なかった各隊員の爽やかな様子が美しい夕焼けとともに心に残るが、それまでの気持ち悪さを払拭するには至っていないだろう。
個人的には伊吹隊長のやや過剰な演技が子供向けらしく気に入っている。
その他、今回も前回に引き続き新たな劇伴が使われている。
緊張感のある場面によく掛かるこのテーマは後半の重い話の雰囲気にマッチし、これから登場する傑作エピソード群を盛り上げるのに貢献している。

本話は少年の物語、SF的なプロットいずれも秀逸である。
しかし話全体としては何とも言えない気持ち悪さを感じる。
それはザゴラスの造形がどうのという問題ではない。
やはりウルトラマンとしての必然性に疑問があるのである。
例えば怪獣。
ザゴラスは少年にとっての熊に過ぎない。
そしてウルトラマンは自分の代わりに熊を撃ってくれる猟師。
あまりにもウルトラマンと怪獣が少年の物語にはめ込まれすぎている。
また六助による銃乱射もあまりに直接的な描写のため、個人的に違和感を感じざるをえない。

ただこの物語がそういう暗い面、負の面ばかりを見ていないことも事実だ。
六助は確かに怪獣と戦ったことにより調子に乗っている。
そして戦うことの快感も知ってしまった。
しかしそれでいいのである。
南隊員もおそらく熊と戦った直後はそういう昂揚した気持ちになっていただろう。
人間優しいばかりでは生きていけない。
結局そういう暴力的なものも生への活力となる以上、それを見て見ぬ振りはできないのだ。

あまりにも過剰に暴力的なものを排除しようとする昨今(ネクサスには当てはまらないが)。
しかしそれが人間の本来の姿である以上、それを隠すだけでは何も解決しない。
このラストに暴力的なものも見せるべきという市川氏のポリシーが表明されていると感じるのは穿ちすぎだろうか。


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