データ 脚本は市川森一。 監督は筧正典。 ストーリー 正体不明の円盤同士が交戦し、一機が墜落した。 調査に行ったTACだったが、誰もいない。 北斗がセンサーで調査していると、何かの反応が。 すると近くで遊んでいる子供たちの声が聞こえてきた。 子供たちはウルトラ兄弟のお面をつけ、宇宙人の子供に蹴りかかる。 「そいつ、宇宙人だろ。死刑にするの?」と子供たち。 しかし北斗は「ウルトラ兄弟は弱いものいじめはしない。何もしない宇宙人の子供をわけもなくいじめたりはしない。ゾフィもマンもセブンも弱いものの味方なんだ」。 宇宙人を保護してパンサーに乗せるTAC。 「見たところサイモン星人の子供のようですね」と北斗。 「サイモン星人といえば、かつてヤプールに追放された宇宙の遊牧星人だ」と隊長。 その時サイモンの角が光った。 そして空から突如ヤプールの声が。 「地球の空を彷徨う超獣の亡霊たちよ。ここに集まれ。今一度生き返るのだ。生まれ出でよジャンボキング」。 空に漂うエースに倒された超獣たちの怨霊が合体し、最強超獣ジャンボキングが出現した。 暴れるジャンボキング。 サイモンを助ける北斗。 北斗は負傷し、こどもたちの隠れ家にサイモンとともに避難する。 隠れ家には無線機や薬箱があり、こどもたちは北斗とサイモンの傷の手当てをする。 「さっきは悪かったな、謝るよ」とこどもたち。 「サイモンを引き渡せ。私はサイモンを追ってきたのだ。地球人には用はない。もし地球人がサイモンを庇うなら、地球人も私の敵だ。サイモンを渡さないとこの街を破壊して皆殺しにするぞ」とヤプール。 「ウルトラ兄弟は弱い者の味方。サイモンを超獣から守る」とこどもたち。 「その気持ちがあれば君たちも立派なウルトラ兄弟だ」。 基地に戻ろうとする北斗に、サイモンが光線を放ち北斗は動けなくなる。 「サイモンは行かせたくないんだよ」と、こどもたち。 街を破壊するジャンボキングを攻撃するTACだったが、まったく歯が立たない。 「熱光線では効き目がありません。アロー空対空ミサイルを発射しましょう」という山中に対し「下は街だ。これ以上の強化作戦は出来ない。投げ網作戦だ」という竜。 しかし超獣の力の前には歯が立たず脱出を余儀なくされた。 「今日は街の半分を破壊した。後の半分は明日にとっておいてやろう。明日の朝8時までにサイモンを渡すのだ」。 「地球にはエースがいる。エースが来てくれるまで俺たちが守る」とこどもたち。 「TACに帰らなければならない。後は任したぞ」と北斗。 基地ではジャンボキングの分析が行われていた。 「ジャンボキングは超獣の最も強い部分を結集して再生されている。超獣の王とでも言うべき最強の超獣だ」。 「一度死んだはずの超獣がどうしてよみがえったのでしょうか」と吉村。 「地上でバラバラになった超獣の分子は大気を浮遊しているのだ。それをヤプールが一箇所に集めたのだ」と隊長。 「そのヤプールは何処にいるのでしょう」と美川。 山中は「サイモンを引き渡して様子を見てみれば」と言うが、北斗は「家も街も元に戻る。しかし子供たちの心は一度踏みにじったら戻らない」と反対する。 隊長は「明日、細胞分解ミサイルを試そう。街も子供たちの心も破壊させてはならん」。 基地の外に出て「明日はエースになろう」と空に語りかける北斗。 その時夜空に突如夕子の姿が現れ、北斗に告げた。 「もしあなたがエースだと知られたら、二度と人間の姿に戻れないのよ」。 「知っている。どうして今それを言うのだ。夕子」。 何も言わず消える夕子。 翌朝、細胞分解ミサイルを準備するTAC。 隊長の命で北斗はサイモンの所に行く。 サイモンのアンテナが光ると再びジャンボキングが出現した。 TACは細胞分解ミサイル(光線)をジャンボキングに浴びせるが、通用しない。 サイモンのアンテナが光ると、ジャンボキングがこどもたちの隠れ家に向かって来た。 「何かを発信しているようだ」。 不審を抱く北斗。 崩れる隠れ家から逃げ出す子供たち。 北斗もサイモンを連れて隠れ家から脱出した。 するとどこからともなく北斗に語りかける声が。 「私の声に聞き覚えがないか」。 声の主はサイモン。 サイモンこそヤプールの変身した姿だったのだ。 テレパシーを使って北斗に語りかけるヤプール。 「ジャンボキングを操ってるのはこの私だ。まんまと罠に掛かったな。早くみんなの前でエースになってやったらどうだ、北斗星司、いやウルトラマンエース」。 銃を構える北斗。 止めようとするこどもたち。 「みんなの前で私を撃つがいい。誰も私をヤプールだと信じてないぞ。私を撃てばお前は子供たちの信頼を裏切ることになるのだ。人間の子供から優しさを奪い、ウルトラマンエースを地上から抹殺するのが私の目的だったのだ」。 サイモンを射殺する北斗。 北斗を非難する子供たち。 「こいつはヤプールだったんだ。テレパシーでこいつがそう言った」と北斗。 「人間のくせに何でテレパシーがあるんだ。テレパシーがあるのはウルトラ兄弟だけだ」。 責める子供たち。 夕子のセリフを思い出す北斗。 「もう優しさなんて信じないぞ」と子供たち。 北斗は遂に意を決する。 「テレパシーがわかったのは、それは僕がウルトラマンエースだからだ」。 呆然とするこどもたち。 「嘘だ」。 「見ていてくれ。これがウルトラマンエース最後の戦いだ」。 子供たちの目の前で最後の変身をする北斗。 「彼らに真実を伝えるにはこうするしか仕方がなかった。さようなら地球よ、さようならTACの仲間たち。さようなら北斗星司」。 ジャンボキングのパワーに圧倒されるエース。 「エース頑張れ」。 子供たちは苦戦するエースを応援する。 エースはメタリウム光線を放ち、最後はギロチンショットでジャンボキングにとどめを刺した。 笑顔の隊員たち、子供たち。 「優しさを失わないでくれ。弱いものをいたわり、互いに助け合い、どこの国の人たちとも友達になろうとする気持ちを失わないでくれ。たとえその気持ちが何百回裏切られようとも。それが私の最後の願いだ」。 空へ帰って行くエース。 見送るTAC隊員と子供たち。 「北斗…」と竜隊長。 エースは空の彼方に消えて行き、星となった。 解説(建前) 最初の円盤の交戦。 これは爆発された方が自動操縦でヤプールは攻撃してた方に乗っていたのだろう。 普通あの大爆発からは生きては脱出出来ない。 TACが来るまでに時間があったことから、ヤプールがサイモンに変身して、さもあの円盤から脱出したように見せかけたのだと思われる。 北斗らはサイモンの姿を見てサイモン星人のこどもとすぐわかった。 しかもサイモン星人がヤプールに滅ぼされたことまで知っている。 これは以前にサイモン星人の難民らしき者と出会ったことがあるということであろうか。 もしかして円盤で脱出するサイモン星人たちのSOSを受け燃料でも補給してやったのかもしれない。 本編で描かれてる以外にもTACは活躍しているようだ。 ジャンボキングは何者か。 ヤプールによるとエースに倒された超獣の亡霊や怨霊とのことだが、TACの分析は違っている。 TACはジャンボキングを大気に漂う超獣の分子が終結したものと考えている。 これはどういうことだろうか。 それを考える前提としてジャンボキングを構成している超獣について分析してみよう。 カウラ、ユニタング、マザリュース、マザロン人。 まずカウラだが、カウラは高井の変身した姿で倒されてはいないはず。 同様にマザリュース。 マザリュースは母の妄想の生んだ幻で実体はなかった。 一方ユニタング、マザロン人は実体はある。 かようにジャンボキングを構成している超獣は怨霊だけでも大気中に漂う分子だけでも説明が不可能な性格を持っている。 つまり、ヤプールの言い分もTACの言い分も正しいということになる。 ここでもう一体、ジャンボキングを構成すると思われる巨大ヤプールについて考察してみよう。 巨大ヤプールのパーツ自体はジャンボキングの体からは窺えないが、これはおそらくヤプールの破片が超獣の核となっているからだと思われる。 とすると、ジャンボキングの複合的性格も矛盾なく説明できるのではないか。 つまりヤプールの破片が核となり、カウラの本体だった牛の怨霊やマザリュースを生み出した母の残留思念。 及び、ユニタングの分子や娘たちの怨霊、マザロン人の分子やマザロン人の怨念。 これらが総合してジャンボキングが生み出されたものと考えられる。 つまりジャンボキングはヤプールの破片を基にヤプール残党が作り出した超獣なのであろう。 因みにヤプールは亡霊と怨霊を言い分けてるので、一応カウラやユニタングを区別しているのかもしれない。 夜空に現れた夕子について。 夕子は月星人の特殊能力で地球の様子を知ることが出来た。 夕子はいち早くヤプールの円盤を発見し、サイモンの正体がヤプールだと気付いたのだろう。 ただその作戦までは気付かなかった。 そこで北斗に対し注意を促す程度に留めたのだろう。 北斗が夜空に見た夕子は、夕子がテレパシーにより北斗に見せた映像であろう。 夕子が言った「人間の姿に戻れない」の意味について。 これは人間の姿で地球に留まれないという意味だと思われる。 タロウのテンペラー編でエースは北斗の姿になっていた。 もちろん北斗の存在が消滅してあれはエースの変身とも解釈できるが、正体が知られれば存在が消滅するというのはあまりにも観念的に過ぎる。 北斗の肉体自体はエースの中に収納されていると考えられ、北斗の精神もエースと同化して残っていると考えられるので、単に地球に留まれないという意味に解した方がよいのではないか。 それが大いなる力を与える際のエースとの契約なのであろう。 そして地球にいない限り北斗が人間の姿に戻ることはないので、事実上北斗の存在が消滅することになるのは確かである。 細胞分解ミサイルが光線砲だったのは何故か。 これはTAC武器開発部の資料に誤植があったか、ミサイルの予定が急遽光線砲に変わったかいずれかであろう。 呼び名だけそのまま残ってしまったものと考えられる。 北斗の変身について。 今回北斗は子供たちにわかるようにジャンプして一旦等身大のエースになってから巨大化している。 その姿をTACの隊員たちも見ていた。 北斗は隊員たちが近くにいることもわかっていて、正体を明かしたのだろう。 さようならTACと言ってることからもそのことがわかる。 最後にヤプールの目的は。 これはヤプール本人が言うように北斗を罠に掛け、地球に留まれなくする。 そしてこどもたちから優しさを奪い、この世を悪の栄える世界にしようとしたのであろう。 ヤプールはただ地球を征服することだけを考えてるのではない。 人間の心を荒廃させ、正義の失われた世界を作る。 人間を滅ぼすのは人間。 人間の心に挑戦するというのもヤプールの大きな目標なのである。 だからこそこういう手の込んだ作戦を取った。 そして自ら倒れてもエースのいない、こどもたちの心に優しさのない世界ならば何年か後にヤプール残党が地球を支配できる。 そう考えたのだと思われる。 しかしヤプール自身は異様に弱い。 48話に続いて銃一発でやられている。 ただしヤプールが観念的存在なら死というものにあまり意味はないのかもしれないが…。 感想(本音) 急転直下の最終回。 いきなりのヤプールの復活に最強超獣の出現。 こどもたちの優しさを守るためエースに変身する北斗。 市川森一がメインライターの役目を見事果たした出色の最終回といえよう。 この話と帰りマン31話の関係については各所で語り尽くされてる感があるので詳説は避けるが、本話が帰りマン31話の発展形である点、間違いないだろう。 ただその伝えんとするメッセージはかなり違うように感じられる。 つまり新マンにおいては「所詮人間の子は天使になれない」という否定的なものだったのに対し、エースにおいては「たとえ何百回裏切られようとも優しさを失わないでくれ」という肯定的なものになっていた。 これらのセリフは一見相反するように感じられる。 しかしいずれのセリフも市川氏の偽らざる本音なのであろう。 つまり市川氏は前者のような人間に対するシニカルな視点とともに、後者のような人間に対する希望を抱いているのである。 まさに悪魔と天使の図式。 元来キリスト教では人の心に悪魔と天使が住んでいるとされて来た。 それはクリスチャンたる市川氏の創作の原点でもある。 そして市川氏の手になる両作においても人間の善に挑戦する悪魔が描かれている。 真実を知らされた美奈子はしばらく人を信じられなくなったかもしれない。 サイモンに騙された子供たちはしばらく人間の優しさを信じられなくなったかもしれない。 しかし子供たちの心からは決して優しさは失われない。 これからも優しさを試される場面に遭遇するだろう。 しかしそれに負けないで欲しい。 それが市川氏のウルトラシリーズ最終作で子供たちに向けられたメッセージなのである。 詳説しないと言いつつ長くなったが、両者は相反するものではなく、メッセージにおいても発展形であったのである。 つまり「人間の子は天使になれないが、それを諦めないでくれ。たとえ何百回それが裏切られようとも」。 もちろん北斗が正体を明かすしか方法がないというまで追い詰められた点も新マン31話の発展形なのは言うまでもない。 それでは以下、細かいところを。 こどもたちの中に見覚えのある顔が。 バキシム、いや超獣人間コオクス。 しかし今回は普通の人間の子供のようだ。 橋仁君は最終回にしてやっと人間のこどもの役がもらえたようですね。 今まで貢献してくれた恩返しなのかもしれませんが、見る人が見たらまたヤプールかと思われるぞ。 それを狙った起用なら高橋君があまりにも不憫だが…。 ヤプールは俗に言う自作自演までして北斗を罠に掛けている。 ここまで行くと、もうご苦労さんと言うしかありません。 そこまでして北斗に恨みを晴らしたいのか。 元々よくわからない目的を持った連中だったが、最終回ではさらに意味不明になりましたね。 まあ、そういうところがエースのオリジナリティであり魅力でもあるんですが。 TACは下が街であることから投げ網作戦を使って敵を移動させようとしている。 その辺りかなり気を使っているようだ。 しかしなぜTACの武器はあれだけ威力がないのか。 妖星ゴランを破壊する科学力を持ちながら。 しかし今回の竜隊長の一言で、常々抱いていた疑問が少しわかった気がした。 つまりTACは武器の威力についてかなり制約があるのではないか。 思い出して欲しい。 日本には憲法第9条があることを。 帰ってきたウルトラマンでグドン、ツインテールに対しあれだけスパイナーの使用が問題になったのも日本独特の事情からではないのか。 あの時岸田長官は「このまま怪獣をのさばらすのは日本の恥だ」というようなセリフを吐いている。 つまり外国では怪獣が出れば容赦なく軍隊が強力な兵器で怪獣を倒すのではないか。 そう考えるとウルトラマンが日本でしか必要のない理由もわかる。 そして宇宙人もそのことを知っており、核などを持ってるアメリカ等の国は後回しにしてとりあえず日本に攻めてきてるのではないか。 北の不審船が来てもなかなか攻撃することが許されていない国情。 怪獣退治においても曖昧な日本国憲法の解釈がネックになってるとしたら問題は重大である。 シルバーシャーク等もあまりの威力にプロ市民の反対運動にあったのかもしれない。 ウルトラ兄弟のお面をつけた子供たち。 そもそもウルトラマンはなぜ地球人を守るのか。 地球人が他の侵略宇宙人より弱いからなのか。 しかし他の宇宙人が強いと言っても所詮ウルトラ兄弟の前では弱者。 結局それは侵略する宇宙人が悪であるからとしか言いようがないだろう。 しかし宇宙人が悪だからと言って命まで奪う必要はない。 悪は殺してもよい、という残酷性。 ヒーロー物に対する市川氏の強烈な皮肉であろう。 ところで地球人が自分たちより弱い宇宙人を侵略しに行ってもウルトラマンは地球人を殺すのだろうか? 北斗がテレパシーで正体を聞いたと言うと、こどもたちは呆然。 そりゃ、傍から見れば「何言ってんのこのおじさん。頭が変になったの?」としか思えませんよね。 まさに「貴さんはUFOに乗ったの」状態。 我に返った子供たちはそれがずるい大人の言い訳だと理解しますが、真実は「UFOに乗ったの」が正解でした。 しかし北斗の変身を見てTACの仲間たちも驚いたでしょうね。 まあ、普段からの生命力を見てるとそうでもないのかもしれませんが。 しかし隊員たちがウルトラマンの正体を知るのはセブンに次いで2回目。 ただセブンと違って湿っぽくなかったのは、状況の違いと北斗とTACとの関係の違いでしょうか。 ダンとウルトラ警備隊はもう少し仲間意識が強かったですが、北斗とTAC隊員はそれほどでもなさそうですしね。 戦友と言ったとこでしょう。 しかし夕子は月星人で月に帰るし、北斗はエースで宇宙に帰るし、敵のヤプールも意味不明の存在なら、出現する超獣もわけわからない奴ばかり。 TACの隊員たちが物事を信じられなくならないか心配になりますね。 最後のエンディングは主題歌にTACのメンバーの紹介を重ねたもの。 夕子が隊員とは表記されなかったものの、隊員時代の映像で紹介されていたのが何とも嬉しい。 エースは最後まで人類と悪魔との戦いという図式を崩さなかった。 そして人類の代表がTACで悪魔の代表がヤプール率いる超獣という点異論はない。 エースの主人公は言うまでもなく北斗と南であるが、TACも同じ人間側として重要な役割を担っていた。 ただ、相手があまりに強大過ぎたため、戦果としては寂しいものになったが。 エースと隊員たち、こどもたちとの別れのシーン。 時間の経過については何も言うまい。 夕子の別れの時にもかかっていたメロディー。 そしてエースからこどもたち、いや視聴者に対する最後のメッセージ。 「優しさを失わないでくれ」。 市川氏が当初意図していたものとは違った形になったが、ヒーロー物として、ウルトラマンとして素晴らしいメッセージになったと思う。 エースのアップで終わる物語。 まさに「明日のエースは君だ!」。 君たち視聴者こそウルトラ6番目の弟であり、明日のエースなのだという製作者の願いが込められている。 語ればきりがないのでそろそろまとめ。 正義の殉教者北斗星司。 私が再三指摘しているように「ウルトラマンA」においては北斗の内面、すなわち北斗自身についてはあまり描かれていない。 内面が描かれてないのは「ウルトラマン」におけるハヤタ、「ウルトラマンタロウ」における光太郎と同様だが、これは2人とも純粋なヒーローとして描くことに主眼が置かれており、特に違和感はない。 北斗の場合純粋なヒーローとしても描かれておらず、他の主役たちと比べれば何となく影が薄いのも致し方ないであろう。 それでは北斗と他の主人公達の違いは何だろうか。 それはバックボーンの無さ、背景の薄さだろう。 郷は言わずと知れた坂田家という重要なバックボーンがあり、番組当初の郷はMATよりも坂田家の一員という色合いが強かった。 またおおとりゲンはマグマ星人に滅ぼされたL77星から来たのであり、その出自や目的ははっきりしている。 モロボシダンも宇宙人というアイデンティティがあり、そのことが地球人と宇宙人の間での葛藤を生み出す原因となっていた。 一方北斗はパンを運ぶ運転手という出自から曖昧な部分を残しており、暴走族になりかけた過去や9歳までおねしょをしていたという過去もそれを払拭するには至っていない。 これはおそらくメインのライターが降板したのが大きいと思われる。 市川氏が最後まで書いていたら、また違った北斗の内面を描くことが出来たであろう。 しかし何より大きいのが夕子の降板。 つまり元々北斗は夕子の存在を前提としてキャラ設定された。 いわば夕子は北斗の出自でもありバックボーンでもあったのである。 これは夕子にも言える。 ただ夕子は北斗と違い比較的北斗への恋愛感情をストレートに出していた。 そのことにより我々は夕子の内面を少しでも窺い知ることが出来た。 また皮肉なことに夕子は月星人であるという設定変更によりバックボーンを得ることに成功した。 そのことはいっそう北斗というキャラのわかりにくさを印象づけることになったのである。 そこでスタッフは夕子降板後、それまでの北斗のキャラ設定の変更を図り、梅津姉弟という新たなキャラを投入することにより、北斗にバックグラウンドを与えようと試みる。 これは今までになかった北斗のマンションの描写の登場や私生活を多く描こうとしている点からも見て取れる。 しかしダン少年との交流においては夕子の設定が全く無視された結果、それまでとの連続性がなくなり北斗という人物を返ってわからないものにしてしまった。 さらにダン少年に重心を置きすぎた結果、北斗を描くことにも成功していない。 ダン少年退場後は北斗は普通のヒーローとして描かれてはいるものの、時既に遅しといった感じだった。 しかし最後の最後に北斗とは何だったのかが浮き彫りになってくる。 それはやはりメインの市川氏の2本の脚本によってだった。 つまり北斗の孤独さ。 一心同体で戦ってきた唯一の理解者夕子に去られ、ダン少年とは心の交流を果たすもののそれはダンを教え諭すもので、孤独を癒してくれる次郎君のような存在ではなかった。 そしてTAC隊員たちとも戦友以上の関係でもなく、正体を隠さねばならないという孤独な立場に立たされていた。 エースであるが故にサイモンの正体を知ってしまう北斗。 最後まで北斗は孤独を背負っている。 そして仲間たちに見送られて地球を去る北斗。 やはりあのベロクロンに殺されたその日から、北斗は孤独な宿命を背負わされた殉教者だったのである。 結び 子供たちに優しさを教え、地球を去った北斗星司。 ある意味ヤプールの勝利のような結末だが、本当にそうだろうか。 もちろん宗教的に見れば殉教者は勝者なのであろうが、それでは北斗があまりにも浮かばれない。 そこでわたしはこう解釈している。 エースと同化した北斗はタロウの頃まではエースと合体していたが、その後はウルトラの父、もしくはキングかゾフィーにより分離され、命を与えられたのだと思う。 ゾフィーはウルトラマンが死なせたハヤタを蘇らせている。 もちろんそれはウルトラマンに非があったからであるが、そういう能力があるなら北斗を蘇らせてやれないということもないだろう。 しかし蘇っても北斗は地球に戻ることは出来ない。 それでは北斗は何処に行ったのか。 それはおそらく夕子の所だろう。 冥王星なら北斗の正体がばれてても問題ない。 北斗は夕子に協力して月の再建に生涯を捧げた。 当然そこで夕子と一緒になったのは言うまでもないだろう。 もちろんこれは私の単なる妄想であり、ファンの願いでもある。 しかし市川氏は元々北斗と夕子が結ばれる結末を想定していた。 北斗が地球にいれなくなり、地球を去る。 それを心配して忠告する夕子。 ここにもきっちりと2人の愛が描かれている。 そしてそのことからも、2人が結ばれる必然性が窺われるだろう。 以上より私は北斗が地球にいれなくなるという結末は2人の幸せな未来を暗示する結末としてハッピーエンドであると理解したい。 北斗と夕子は愛の力でヤプールを克服した。 以後ヤプールがほとんど現れないのもそのことを証明しているというのは言い過ぎであろうか。 以上、長くなりましたがこれでエース最終回の感想を締めたいと思います。 1年余りにも渡る連載になりましたが、今まで私の個人的独断の見解を読んで頂いて本当に感謝しています。 エースについてはちょくちょく加筆訂正をしていこうとは思いますが、とりあえず本格的なものはこれで最後。 次回からは帰ってきたウルトラマンについて書いていくのでよろしくお願いします。 |